大学生の不登校

先ほど、ある事情があって不登校ニート、引き籠もりに関する事を調べていた。経験的に、引きこもるメカニズムを理解できないわけでもない。私の学生時代も下手をすれば、というか、事実上不登校だった時期もある。しかし、幸いしたのは熱中したのが自分の社会に対する興味を引き出すアルバイトというか、その後の職業選択につながる仕事だったことだ。
そんな経験があるから、多少の不登校(というか単にゼミさぼってるだけ?)は、本来指導教員としてはいろいろ対応せねばならないのだろうが、「ま、よいか」と学生の主体性に期待をしたりして、目をつぶったりする。ハタチ前後の体力もあって多感な時期に、自分の感じるままの行動(とそれを許容する自由)というのは後で代え難い経験になることがままあるから。そういう大学のおおらかさがなければ、仮に受験に熱中する高校のように管理が厳しくなれば、大学というのはもっと息苦しくつまらないだろうと考えている自分がそこにいるから。

さらにいえば、別に大学ぐらい途中でやめてもいいんじゃないかと思ったりする。それが本人の選択として尊重されるのであれば。付和雷同ではないが、何となく周りに合わせて卒業するよりナンボか世の中が見えてくる部分もあると思うよ。

、、というのはあくまで理想であって、現実はなかなかそれを許さない。
その理由もこの年になってイタイほどわかる。人間すべての選択肢を自分の選考に従って決定するということは、紛れもなく苦痛なのだから。
どこかで偶然やステロタイプや型にはめられた思考形式によって、意思決定コストを減少させ、楽をしているのだから。

日本の大学生の全員が自分の大学進学の目標を明確に合理的に語れる社会っていうのも気持ち悪かろう。

かくして、大学という非日常がもたらす物語の一アクターとして、いろいろな手段を用いて学生諸君を劇場に連れ戻さないといけないのかもしれないと考える次第。