ネットイナゴ問題に感じる不透明感

そもそも議論の前提にいろいろ違いがありそうで、すっきりしない。
以下はいずれまとめるためのメモ。

私の感じているブログ周りの環境の前提は以下の通り

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読み手を特定できるSNSのような技術がある今日、誰からでも読めるブログに何かを書くときには、不特定多数の人に伝えたいことがあるから書くものである。
基本的に、不特定多数の人のすべてが書き手の意図を適切に読み取る保証はないし、誤解も多々ある。意図的な読み違いもある。
それで面倒なTBとかいろいろ来るのかもしれないが、それだけなら、許可制にすればよいだけの話。
それでも、ブログで書くと言うことは、社会参加であるし、また、そんな参加をしている自分を知って欲しいから書くんじゃないのかな。と考える。

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それに否定的なコメントが着くのがウザイから、書かなくなる。というのは、陰で悪口言われたくないからグラビアアイドルにはならないと言っているように聞こえます。そんなわけにはいかないのが現実で。単に美人だからアイドルになれるわけでもなく。自分を公人として本来の必要以上に社会に露出させる訳だから。

それで、そのようなパブリックな場で罵倒することがよいことか、そういうことを規制すべきかという話になると、実はいろんな人を罵倒しているグループというのは実はアルファブロガーズだったりする。他ならぬ池田先生も「読んではいけない」反書評とかむちゃくちゃ面白いよね。プロレス的で。
それは、ブログという世界で社会参加をし、自分を認知してもらいたいが故に行うある種の芸のようなものかもしれないとすらおもう。

ただ、当人同士がクローズドだと思いこんでいるコミュニケーションが、実はオープン環境で行われていて、他からそれをのぞき見ると楽しいとか。社会的に有用だった。というケースはあるかもしれない。その環境で、本来見えないコミュニケーションに対していろいろな罵倒が発生すれば、本来のクローズドな環境に戻るかもしれない。それを損失といえば損失だが、単純に本来の世界に戻るだけのことを指している気がする。