教育の場から排除する権利

君は人間じゃない 発狂小町

今もっとも熱いまとめサイトといえば発狂小町ですね(?)

最近中等教育について少し考える機会があり、それ以来関心を持っていました。そんなこともあり、上のエントリは中学校の先生の話で、興味を持ちました。

授業中にプロレスごっこをする学生に注意をするのが先生の仕事というのも大変です。授業して欲しい学生からみたら妨害だなと。そんな学生を排除せずに卒業させるのが懐が深いというか。。。

社会性や協調性って人間が生来持っている部分もあると思うのですが、それだけでは不足で、幼少期から青年期にかけていろいろ躾けられて身につけられるのだなと最近感じます。(子供との生活を通じてですが)。本来躾は家庭で親がやる仕事だとは思いますが、必ずしもそれだけでは足りず、小学校の先生とかプロ教育者はそういう「保護者としての立場」を強く持ち、実践なさっているのだなと納得しました。

上の記事では、いくつかレスの方向性の揺り返しがあるようなのですが、もっとも最初の反応は保護者としての教員を強く期待して、人間じゃない発言を非難しているのが印象的でした。
初等中等教育の教員に対する社会の期待は大きいなと。

ある意味、大人じゃないとできません。
学校だけの問題として考えると、問題児を排除して教育の効率を高めることが最善の策なのかもしれませんが、排除された中学生の行き場や将来を考えると、社会的損失は小さくないですね。最低限の社会性を身につけさせることによる社会的コストの削減というのが初等中等教育の重要な役割ということに今更気づいた私はアホでした。

大学もどこまで保護者であるべき何でしょうねえ。。