国立大学の授業料の値上げ

国立大授業料、私大並みに 財務省、5200億円捻出案

http://www.asahi.com/national/update/0519/TKY200805190264.html

一般論というか、経済学的には下記のような主張が理屈の上では正しいことは私にもわかる。

現実問題として偏差値の高い国公立大学の生徒に裕福層が多いこと、財政難の折、私学との助成金格差を私学助成金の増額で解決することが難しいことを考え併せると「高等教育の機会均等は、貸与奨学金での対応が適当」という主張は極めて健全。

2008-05-19

ただし、現実的にはもし授業料が私立大学と同水準になれば、今いる学生の何割かは確実に大学進学という現実を失うだろう。その代わりに学力的には期待できないが(入試が簡単になるとすると)、経済的な環境には余裕がある学生が増えることになることを意味するというのでは何ともやりきれない気持ちになる。

もっとも、増やした収入で、奨学金が借りにくく授業料免除が受けにくい現状が抜本的に改善するというのであればよいかもしれないが、そのような期待は楽観的すぎるというものではないだろうか。その点で、心情的には高等教育予算がもっと増えればいいと考えている教員としての自分がいる。

だがその一方で(明らかに矛盾することをご容赦頂きたいが、)今の大学に対してお金を出すことが投資だとすれば、そのような投資行動を自分に積極的にとれるだろうかと言えば少し躊躇せざるを得ない。歴史のある組織ではどこもそのようなものかもしれないが、長い間の旧弊にとらわれ、様々な非効率的な運営を行っていることは素直に反省が求められている。さらに、もっと深刻なのはそのような環境に身を置く学生も、大学の一員としての意識が希薄で、大学のあり方などに関心を持つ学生はそれほど多くない。所属組織に対するリーダーシップや主体的関心をもてない学生に対して、未来のリーダになるための公共的な支援をお願いするというのは虫がよいというものだろう。また、「自分たちはこれだけ勉強しているんだから、ぜひ税金から支援して欲しい。」という主張を出来る、高い志とモチベーションを持った学生がどれだけいるのだろうか。

そう感じてしまう自分がなんだか情けない。

そもそも、このニュースを学生は見ているのだろうか?もし、このようなニュースを知らせた後にも、(大げさだが)デモをするわけでも、特段の関心を持つことなくただ財務省になされるがままの受動的な学生ばかりなのであれば状況は厳しい。そのような雰囲気であれば、この国の未来に対する公的な支援を望むのはあきらめたほうが良さそうだ。

関係ないですが、後期高齢者の制度は見直すんようですね。わかりやすい選挙対策にもうお腹いっぱいです。