悪い日本を作ってる自覚

先日、前途有望な若者に出会った。映像制作の会社を経営しているとのことで、映像を使って地域の魅力を発信するような事業を通じて、日本を良くしていきたいという。
そのストレートな野望に少しくらくらすると同時に、私も10年ぐらい前ならそういうことが自分でも考えられたかもしれない。などと、勝手で不遜なことを思う。

素直に、そういうピュアな野望が抱けることが羨ましい。
しかし、現実には、様々な「訳のわからない」障害が存在して、そういう野望の邪魔をするものだ。
特に、この国の組織を取り巻く環境はなかなか厄介な問題を抱えている。そして私はこの年になって、山本七平的な「空気」の怖さがよく分かるようになってきた。

組織の空気の興味深さという点では、私の観察する組織において、事例にはこと書かない。民主党もその一つで、政権交代から2年半がたち、いま何かを語ろうとすると、大変残念な印象しか語られないのが一般的だろう。しかし、中の人にいろいろ話を聞いてみると、案外中の人はそれなりに頑張っている。個人はそれなりに頑張っているんだけど、組織全体としては残念なパフォーマンスにしかならない。そんなケースが多いような気がするのだ。

あんまり大きな声では言えないけど、私の所属する組織もそんなところが大きい。というか、若い人から「なんでそんなことをしているのか?」と尋ねられた時に、一担当者として自信を持った回答ができないことがかなり存在する。

まあ多かれ少なかれ、組織というのはそういう側面があるのは否定出来ないのであって、やむを得ないことも多いのだが、そういう案件に関係していると、不条理や理不尽の増大に一役買っている気分になってしまう。もちろん、不条理な案件に接した時に、関係しないよう、あるいは直接的に反対するようにすれば、一役買うこともないのかもしれないが、それでは組織が回らないことになる。

そうして、私は「訳のわからない」障害を創りだす側にいつの間にか回っているのである。これははっきり言って、先の若者からしたら十分に敵陣側に配置されているのかもしれない。はっきり言うと、このエントリの標題のような自覚が自分にはある。

でも、私の経験からすると、明らかな不条理はそれほど長く続かない気がする。(もっとも、そういう感触を得る経験をしてきたのは運が良かったのかもしれない。とも思っている。現実には、なかなか壊れない不条理の中で困っている人も多いのだろう。)特に、経済的な不条理というのは、案外早めに破綻をきたすことが多い。

だから、楽観的に言えば、若いピュアな野望家はあっさりと勝利を得て、「訳のわからない」組織に拘泥していた側は、案外そそくさと負けてしまうような気がする。というか、そうだったら良いな。という希望的観測かもしれないけど。