市街地活性化法

夜のNHKニュースで知る。下記はご参考。
http://www.asahi.com/politics/update/0208/005.html

選挙対策向けなのだろうが、いつまでこんな時代遅れの愚策を続けるつもりなのか。
認定しなければ実施が不可能な中心市街地政策には、一体何があるのか。
そのような規制があるとすれば、さっさと規制をやめるべき。
余計なひも付き予算をばらまくぐらいなら、地方交付金を増やすべき。

中心市街地を見捨てる自治体が出てきてもアリだと思う。

浜松は自動車都市の典型だが、実際市街地なんていかないでしょ。子持ちのお金を使う世代は特に。
土地の密集した、行政やその他いろいろがたくさん利権を持っていて、結果無意味に高コストな地域に誰が行くの?
浜松駅前の市営駐車場は最初の1時間350円かかるしキャパも少ないけど、志都呂ジャスコは無料で3500台入れるよ。

それより心配なのは安倍総理のセンスだ。
小泉さんみたいにまだ「都市再生」とか言ってくれた方が有権者も納得しやすいだろうに。今更中心市街地といわれても、何のあたらしみもなく、地元のアピールに使いたい議員もなんだかなって感じじゃないか?選挙が楽しみである。

別に車が使える人は、中心市街地に行かなくても立派に豊かにやっていけますから。車が使えない方だけ、駅前にお住まいになったらよいのではないでしょうか。へんな駅前優遇策を実施して、車が使える人も駅前に集中したら、土地利用コストが高くなって駅前にしか住めない交通弱者がかわいそうじゃないですか。

暴力団の発砲事件

同じくNHKニュース。都心でヤクザの発砲事件が起きているようだ。画面にヤクザのような怖い人がたくさん映し出され、のしのし威圧感を持って歩いている。そうか。東京にもヤクザがたくさんいたのか。と納得しかけた瞬間、その怖い人たちは家宅捜索に入る警察官であることが判明し、恐縮した気持ちで満載になる。

柳沢発言

今回の発言を巡っては、メディアの部数稼ぎの扇動的報道に対して、「国会を止めてまで罷免を要求する発言ではない」という論調で、対極的にブログが機能しているようだ。これはいずれ定量的に示したい。

少し筆を滑らせる。見かけ中、肉体を支配していると考えられる意識が、その肉体のもつ生命のありようを支配してしまってよいのだろうか。という疑問が、私にはある。簡単に言えば、自分の命は自分のものか?ということだ。たとえて言えば、私は自分の命というのは自分の先祖から子孫に至る大きな川の流れの一つの小石に過ぎないと考えている。そんな考え方に経つと、生まない権利があると主張するような考え方はどうも理解できない。少なくとも自分が命を授かっている以上、さかのぼっていけばたくさんの生命を誕生させ、慈しむ脈々とした営みがあって、いま生を受けているわけだ。どの面下げて、「自分で終わりにします。」って、明言できるのか不思議だ。積極的に生まない権利を主張することに過度な論理偏重主義と不気味さを感じるのは私だけか。
そういうネガティブな考え方だけでなく、子供を持つこと自体すばらしいことと大人が考えられなければ、私にとっては成熟した意識とは思えない。ま、これは個人的な感想なので誰にも強要するつもりもないが。もっと余計に率直かつ個人的な感想を言えば、男女を問わず、「子供を積極的に作らない」という方はどこかで損をしていると思う。そして、その損はご本人の人格形成に少なからず影響を及ぼしているとさえ感じる。もちろん、欲しいけどその願いが叶わない同情されるべき人があまたいることはわかっているつもりである。だから、ここで問題にしているのは自分からその権利を放棄している人のことだ。端的に言って、子供を作らないとされている方については、残念だなと思う。もっとも、これは体験しないとわからないだろうから、いくら言葉で説明しても無駄だ。その説明を自分ができるとも思わない。そして、積極的に親が子供を欲しいと思っていない未熟な環境で育てられる子供は本当に悲惨なので、そういう事が起きるぐらいであれば、むしろその方が未成熟なままでいることを願う。そして、その未熟さを自分以外の人に強要しないでいて、おとなしくしておいて欲しいと思う。

メディアの立場に立てば、このような失言を報道することによって、感情的に反応する女性の支持を期待しているに過ぎない。池田信夫氏が言っていたことでもあるが、メディアリテラシーの文脈では、これを騒ぎ立てること自体が女性をバカにしているのと同じ事だ。そういう女性票に頼っている社民党を中心とした政治家が大げさに反応するのも、本当の意味での女性の自立を妨げるだけだ。