柳沢発言

今回の発言を巡っては、メディアの部数稼ぎの扇動的報道に対して、「国会を止めてまで罷免を要求する発言ではない」という論調で、対極的にブログが機能しているようだ。これはいずれ定量的に示したい。

少し筆を滑らせる。見かけ中、肉体を支配していると考えられる意識が、その肉体のもつ生命のありようを支配してしまってよいのだろうか。という疑問が、私にはある。簡単に言えば、自分の命は自分のものか?ということだ。たとえて言えば、私は自分の命というのは自分の先祖から子孫に至る大きな川の流れの一つの小石に過ぎないと考えている。そんな考え方に経つと、生まない権利があると主張するような考え方はどうも理解できない。少なくとも自分が命を授かっている以上、さかのぼっていけばたくさんの生命を誕生させ、慈しむ脈々とした営みがあって、いま生を受けているわけだ。どの面下げて、「自分で終わりにします。」って、明言できるのか不思議だ。積極的に生まない権利を主張することに過度な論理偏重主義と不気味さを感じるのは私だけか。
そういうネガティブな考え方だけでなく、子供を持つこと自体すばらしいことと大人が考えられなければ、私にとっては成熟した意識とは思えない。ま、これは個人的な感想なので誰にも強要するつもりもないが。もっと余計に率直かつ個人的な感想を言えば、男女を問わず、「子供を積極的に作らない」という方はどこかで損をしていると思う。そして、その損はご本人の人格形成に少なからず影響を及ぼしているとさえ感じる。もちろん、欲しいけどその願いが叶わない同情されるべき人があまたいることはわかっているつもりである。だから、ここで問題にしているのは自分からその権利を放棄している人のことだ。端的に言って、子供を作らないとされている方については、残念だなと思う。もっとも、これは体験しないとわからないだろうから、いくら言葉で説明しても無駄だ。その説明を自分ができるとも思わない。そして、積極的に親が子供を欲しいと思っていない未熟な環境で育てられる子供は本当に悲惨なので、そういう事が起きるぐらいであれば、むしろその方が未成熟なままでいることを願う。そして、その未熟さを自分以外の人に強要しないでいて、おとなしくしておいて欲しいと思う。

メディアの立場に立てば、このような失言を報道することによって、感情的に反応する女性の支持を期待しているに過ぎない。池田信夫氏が言っていたことでもあるが、メディアリテラシーの文脈では、これを騒ぎ立てること自体が女性をバカにしているのと同じ事だ。そういう女性票に頼っている社民党を中心とした政治家が大げさに反応するのも、本当の意味での女性の自立を妨げるだけだ。