いまさら理系文系でもないだろ

はてなブックマークで文系理系に関するのエントリがいくつかあがっている。
どれも釣りっぽいエントリで、実に面白くない。
釣りに反応するのもどうかと思うが、常々学生に考えてもらいたいことでもあるので書き残しておきたい。

教える側から言えば、理系文系の区分けなど、百害あって一利なし。
そもそも理系文系ってなんなのかよくわからん。
大学入試の選択科目がその人の人生や知性のあり方に広く影響するとでも言いたいのだろうか?
そういうことを議論するような奴は所詮それだけの人生なのかもしれないが。

私の所属している学部では、部分的に理系入試の学生と文系入試の学生が同じコースを教育するカリキュラムになっている。理系文系が使われるとすれば、それぞれ自分の不得意科目が存在する根拠ぐらいだ。「文系だから数学やプログラミングが苦手なんです。」とのたまう文系の学生。あるいは理系だから世間知らずでも許されると思っているやつ。いずれもネガティブな目的にしか使われない。

関連するエントリも同じようなモノだ。基本的に理系文系論で語られることは文系の技術音痴、理系の政治的権力が不足していることのルサンチマン、それぞれの裏返しに過ぎないケースが圧倒的に多い。
理系が出世できない?収入格差?という見方がある。
本田宗一郎井深大稲森和夫はそれぞれ立派に戦後日本経済繁栄の礎を作った経営者だが、技術的なバックボーンがある。
私の周りには、独立する理系の技術者もたくさんいるぞ。

私のお願いは下記の通り。

自分が文系だと思っているのであれば、技術に対する食わず嫌いをやめよう。
自分が理系だと思っているのであれば、自分の持つ技術が社会に対する影響について関心を持とう。社会というモノは物理学的な物質世界だけで成り立っているわけではない。物質世界では明らかに正しいことでもその世界を理解していない人が認識している仮想現実の中では、それとは異なる真実が含まれている。そして、大勢が同意しなければ政策が決定できないような民主主義という安全装置を備えた制度の中で生きていると言うことも。さらに言えば、その安全装置は必ずしも性能がよくない(むしろ最低な)こともわかっている。それでも、ないよりあった方がよいということをこれまで経験してきたのだ。

理系の中でも医者を取り巻く環境については別エントリに。