けたぐり問題に見るスポーツの美意識

既に旧聞に属する話題。朝青龍九州場所でけたぐりで稀勢の里に勝った件が興味深い。ルール上はもちろん何の問題もないのだが、横綱審議委員会を始め、横綱らしくないと批判が多い。つまり、単なる勝ち負けを超越した物語として、勝負の美学とも言うべき基準に基づいた批判をする人が少なくない。ということだ。明記されたルールを超えた部分で、ルールを超えた評価基準があるのだ。

そもそも、争いの抽象化したゲームであるスポーツは、力が拮抗するようにルールを作ってあるのが一般的だ。これはレースゲームで1位よりも2位が早くなるようなものか。

反面、一瞬で勝ち負けが決まってしまうような手段や、競技者としての死に至らしめる破壊力のある手段(相撲の場合は目つぶし)は禁じ手になる。

事実上ルールのない争いである政治的な争いや戦争など、現実の争いではそうはいかない。ここ四半世紀、物理的な破壊力ではアメリカ(軍)に勝てる存在はいなくなってしまったのとは対照的である。もっとも、テロのようなゲリラ的な戦い方もあるから、必ずしも明白な強さではないかもしれない。(というより、メタな政治的レベルを含んだ戦いになっているからもっとたちが悪い。)

これは、抽象化されたゲームだからこそ、ゲームの過程を楽しもうとする心理の作り出す状況か。力が拮抗しているように見えてこそ、競技を見る楽しみが増えるというものだ。

個人的には、先場所負けた格下の力士に対して奇襲をするという今回の朝青龍のやり方は自ら実力的な負けを認めているようなものに思えるので、むしろ今後の戦いが楽しみになるのだが。そうでないとすれば、朝青龍は超リアリストなのかもしれない。もっともそのあたりが保守的な大相撲愛好家に必ずしも好かれない点なのかも。