早生まれの損得

http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/061204/gkk061204000.htm

私の出身中学・高校(一貫校)では、運動会が生まれの四季別の対抗戦で行われていた。中一から高三まで、4から6月生まれは春チーム、1月〜3月は冬チーム。といった具合。まれに夏が勝つことを除けば、春が勝つことはほぼ決まっていたので、この記事で書かれていることは私の中ではほぼ検証され尽くした仮説だった。

しかし、こんな記事で心配していることは、日本の教育機関が子供の本当の理解度を無視した、年齢にこだわった進級制度を維持しているから生じる些末な問題にすぎない。子供の能力に応じて、肉体的な年齢と就学年齢を切り分けてやることができれば、そして、そもそも子供の能力に差があるという自然な状態を社会が受け入れてやることこそが本質的な解決策である。(そして、学校での評価など、学生の人格のごくごく限られた一面にすぎないということを理解すべきだ。)いつまで子供の成長のレベルを無視した画一的なサービスを、日本の教育はいつまで提供すれば気が済むのか。

そのような点で、議論されなければならないのは「ゆとり」教育である。
日経ビジネスの人気コーナー、「敗軍の将〜」では、元文科省寺脇研氏が「ゆとり教育」について述べているが、その趣旨は(彼の中での)ゆとり教育とは「学習指導要領に示された内容を、学習すべき内容の下限として、それを超える部分を子供の能力に応じて自由に教えてもよい」ということらしい。それが、批判の強かった詰め込み教育に対する「学習内容の低水準化」と誤解されたという。
そのことの真実は今ここで判断することはできないが、少なくとも、寺脇氏のような教育内容を柔軟に必要に応じて変化してもよいという政策にたいして「ゆとり教育」と名前を付けたのは失敗だった。もっと正確に、「学習指導要領(学習内容)の弾力的運用」といったように、正確な用語を用いなかったことが少し残念だ。(もっとも、そんな正攻法で攻めても、初等中等教育の現場は変化しない感じもしますけどね。)