有料化の衝撃

http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20061220
個人的に愛読している「勝谷誠彦の××な日々。」が有料化されるという。毎朝読んでいたので今日の見出しが二つあったときには少し驚いた。はじめはいつものように号外、あるいはたまにある2日分まとめて読むことができる、お得な「下から読んでね」日かなと思いきや、新春から有料化されるという案内だった。内容的なすばらしさを考えると、有料になるのも致し方ないかもしれないという気持ちもある。それに、コストのかからないサービスはない。一見無料に見えるものであればこそ、むしろ直接的にコストを負担しない分高くつくこともよくある話である。私自身は有料になっても、読み続けたいと感じる。個人的には今回設定された金額の負担がさほど大きいとは思わない。
しかし、うまく表現できないけど、心のどこかで残念な気持ちがある。すこし表現が大げさなところはあるが、今日のメディアの閉塞状況を率直にわかりやすく啓蒙してくれる貴重なサイトが、ネットの検索対象から消えてしまうのである。有料コンテンツはそれがわずかな金額であっても、ネットの構造的にアクセシビリティが極めて低くなってしまうのは当然である。
最初にイメージしたのは、学生の読者が減るだろうな。ということだ。私は勝谷氏のコラムはメディア批評として若い学生に賛否含めて読み解いてもらうのに大変優れていると思う。実際学生にもおもしろいから読んでみろとすすめてきた。あるいは、特定の事柄について関心を持ち、そのことがわかりやすくコラムになっていたとする。検索することを考えると、有料コンテンツとして、その中に勝谷氏のコラムがあったとしても、それは検索エンジンでは引っかからない。彼のコラムのような今ある日本が直面する現象を端的に理解できる文章に出会うことはなくなってしまうのである。なんだかとても残念である。
結局、彼のコラムのようなものを、お金はないけど希望がある若い学生に読んで欲しいと思ったときに、それが叶わなくなるというのは少しやりきれない。ということなのだ、、といまここまで書いてようやくわかった。優れた文章が無料で読めて、なおかつ書き手にもメリットが出せるようなビジネスモデルを発明することが課題だ。
#あるいは、メール化することで直接的に書きやすくなったりする効果を期待しているのだろうか。無料の地上波テレビから、DVDに変わったようなものだと思うと、表現できる範囲が広がるということだろうから、その点では歓迎すべきかもしれない。