大人の振る舞い方

 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070106/p1
 Web2.0の踊り場という梅田さんのエントリが気になっている。まとまらないが書きたいことだけ。
 現象的にはWeb2.0に注目が集まっている背景として、ポータルサイトに代表されるマスメディアの代替としての(方向性のある)インターネットのあり方に対峙して存在する、ブログに代表される(大げさにいえば)言論や主張の(方向性のより乏しい)P2P的ネットワークのあり方の影響が大きいのだろう。ブログの技術的ブレイクスルーのメリットは、書き手を特定しつつ、コンテンツがブラウザ経由のインターフェースで更新されるところではないか。RSSによる更新通知性やtrackbackによる相互リンクのメカニズムはぶっちゃけ相対的にはさほど重要でない気がする。そこで、私が思うにキーワードとして出てくるのは「ワークショップ」ではないか。
 ワークショップを定義する上で、教える側、教わる側という態度を超えた共有空間としての場の設定が肝心である。実は従来の私の興味のある範囲で「ワークショップ」という単語は、まちづくりにおける住民参加論の一部だと思っていた。住民参加という言葉があまり好きではない私にとって、必然的にあまり興味はなかった。だけど、昨日買ってきた本に「ワークショップ 偶然をデザインする技術 宣伝会議編」がある。どうやら、私の知っていたワークショップからもう少し概念を拡張して、マーケティング、商品開発フェーズで活用しようという目論見のようである。結構野心的。そういうフェーズで活用できる見込みが私の中では乏しいのだが。しかし、「Wisdom of Crowds(群衆の叡智)」をモデルとして理論化する上では、便利な話のような気がする。
 さて、梅田さんのエントリで印象に残るのは、大人の振る舞い方という言葉に象徴され、それはWeb進化論やWeb人間論を通じて一貫して感じ取れることでもあるが、チャレンジに対して冷ややかな?日本的な文化・風土に対する梅田さんの憤りだ。お仕事を除けば?自分より年長者と会うことをやめてしまった梅田さんはある意味正しいと私も思う。様々な局面で今の日本って過去の成功体験を踏襲しすぎている雰囲気も強く、インターネットという新しい文明の利器に無知でそして権力を持つ権力者層に対するルサンチマンが募るのもやむを得ない。(余談だが、安倍政権もなんだか私が子供の頃、80年代の自民党政権に戻ってしまったかのような状態には唖然)そういう意識もあることは承知の上で、あえて偉そうにいうとすれば、でもやっぱりイノベーションを起こすクリエーターにとって、うまくいかない理由を「大人」という環境に帰着させてはならないと思うのです。やっぱりハンデが大きいほどイノベーターにとってはおいしいでしょ。
 そんな点で、ワークショップの話で思い出した事でもあるのですが、私の知っているワークショップは、政治的な合意形成のために使う(社会的合意形成型 前述書17P)ものであって、Web2.0が本当の意味で社会的にインパクトを残すのであれば、はやり現実の政策形成に寄与してこそ、いえる事かなと思っています。そのためにはWeb2.0のおもしろさ、便利さを「踊る阿呆の中のほんの一部」だけでなく、もっと幅の広い存在に知らしめなければなりません。その点では、政治・行政の分野で、国家を支える基盤の諸存在がネットにもっと理解を示さないといけない(それが大人の振る舞い方といわれればその通りですが。。。。。汗)。だから、次の本格的なWeb2.0というイノベーションを支えるための準備としてのプチ・イノベーションは、選挙とか、政治活動に対するWeb2.0的なアプローチかなと個人的には考えています。ネットの意思決定やそのための判断根拠として、もっとインターネットが使われないと、阿呆がふえないのではないかと思っています。
 そういうわけで、(我田引水ながら)今年の参院選プロジェクトの準備を頑張りたいと思います。
 話を戻すと、Web2.0によるイノベーションが本格化するためには、インターネットにとってのセンサー部分の何らかの改善が必要なのではないでしょうか。昔の村井純先生の受け入れ的ですが(w)。いまブログを書いているという人はそれなりにはやり一部の人だし、もっとネットに接続していない様々な主張や感覚、感想などがネットに自動的に入り込むような何かが必要かなと妄想しています。符号化手順がしっかりしたデジタル化さえ行われれば、あとは何とかなる部分な気がします。