卒業してから見えてくるもの

昨日、ゼミのOBのIくん、自主ゼミ的な勉強会に来ている2年生の数名他、数名の4年生と食事をした。

就職とか、将来の話で、少し盛り上がる。すでに社会人となっているIくんは、やはりすごい勢いで成長していて、大学で閉じこもっている私の方が取り残されているなと少し感じる。

その中の話題。
会社の仕組みや就職に対する考え方について、はやりそれなりに学生時代の過ごし方に後悔というか、もっと仕組みを理解していれば、いろいろな選択肢があったのではないか。という思いがあるという。これは就活をした結果、進学を決めたゼミの学生にも同じ傾向があるという。

例えば、最初は地元志向だったが、やはりWebビジネスをやるなら東京行くしかないだろうと考えが変わったり、SIerから、ネットの媒体屋さんのほうが面白くみえるが、学生自体はその違いがよくわからない等々。

私としては、説明できる範囲で説明しているつもりなのだが、なかなかコメントが不適切なこともあり、うまく伝わらない。その点はもどかしいのだが、仕方がない。

自分の持つ世界観についての脳内の内部表現は、入力された情報の価値をそれ自体が判断し、都合のよい情報だけを選択的に入手し、自己組織的に強化するのだろう。
だとすれば、ある種の世界観を変えることは簡単なことではない。

学生一人一人、それなりに20年程度生きてきて、いろいろな性格や過去の経験を引きずっている。その内部表現がどのような経験で構成されたものか、少しづつ聞いていかなければ、その構造を理解した上で、適切なコメントをしなければならない。

だとすると、自分の思い違いや誤解を修正する能力がもちろん必要だが、その前に、自分がどのような考え方の個人的な経歴の持ち主か、うまく説明できる能力がよいコメントを求める学生には求められると感じる。まぁ当たり前なんですが。