大学生インターフェースをなぜはずすか

昨日書いたエントリではいまいち言いたいことがかけてない、というか誤解されそうだということに朝起きて気づいた。

大学生インターフェースをはずすからといって、別にさっさと退学しろと言いたいわけではない。もちろん、積極的に目的を見つけて退学するのは大賛成ですが。なかなか難しいよね
インターフェースって、implementsしてしまうと、特定のメソッドを強制的に実装しないといけなくなってしまうんだよね。
で、最も大事なgakusyu()メソッドについてももちろんだが、もっと細かい大学でしか通用しないようなメソッドgetTan'i()とか、syusseki()とかを強制的に実装させられてしまう。
でも、もちろんインタフェースがなくてもgakusyu()メソッドを実装することはできる。むしろ、積極的に自分で実装してみないとgakusyu()を実装する楽しさがわからなくなるんじゃないかという危惧がある。
あと、大学生インタフェースを実装すればこそ、gakusyu()メソッドが4年間という限られた時間でしか昨日しないと思いこむとか。
本来社会に出るタイミングなんて人それぞれでいいのに、無理矢理トコロテン式に押し出されてしまうんだな。ま、強制的に決まる部分も必要だとは思うが。大学時代の私を含め、それに頼っている人が多すぎなのが問題なのだ。