卒論

ブログの更新が久々なので、卒論の話題でも。というわけでもないのだが。
時節柄卒論について書きたくなる。4年生はそろそろうっすら焦りだしてくる時期ではないか。
教員も同じようなものだが。

学部の卒論という点では、私自身は苦い思い出しかない。大学4年生の段階では全く論文というものをかけなかったから。提出する直前に、先輩に手伝ってもらったりした記憶がある。当時の工学部ではそういう文化があった。今あるかどうかは知らない。だからあまり偉そうなことは言えない。

正直に告白すれば、論文の書き方の指導というものにあまり自信がない。絵の書き方を教えることに近いような印象である。ちなみに私は絵が下手だ。だから、絵の書き方を教えるということが正しい比喩になっているかどうかは不明なのだが。ただ、コツのようなものをつかんでいる人を見るとうらやましく感じ、いろいろ尋ねたりするが、全然伝わってこない。長嶋茂雄にバッティングを教わるが如く?。
いや、自信がないというと問題になりそうなのでw、もっと正確に言えば、現状のカリキュラムで学生がそれなりの論文をまとめられるようになると言うことに困難を感じる。その理由は後述する。また、大学で学んだことの集大成がすべて卒論の形式で表現できるのかという点でも、別の方法論があってしかるべきなのではないかという問題意識もあったりなかったり。そのあたりを考えると結構重たい。

そもそも、どのような形式で、順序で、文章をしたためると卒論になるのか、少なくとも情報学部文系のような学際系学部では様々なスタイルの論文が入り乱れることになり、形式についても論じることが難しい。その点で、純粋工学系の系統の人はある程度簡単である。中途半端が一番難しい。見る人の評価も様々だし。もちろん、テーマの指向性や認められる形式を限定してしまえば指導は簡単である。かもしれないが、特定の方式に限定するほど価値がある書き方、流派のようなものを理解しているわけではない。もっと学生の自由な好奇心や表現の多様性を優先した方が、知的価値の高い活動になると思うし。限定する戦略は避けたい。

それでも学生には卒論なんてほとんどの場合初体験な訳だ。そして初体験はなんでも早く終わった方がよい。と思っているので、早く終えて欲しいと思っている。その点で最大の問題なのは、卒論というのは「ぎりぎりまで苦しんで書く」という思いこみというかある種のメンタルモデルの存在である。人間は物事を成し遂げるときに、自分が順調に取り組む姿、あるいは完成系をイメージできない仕事は終わらないという。その点で、締め切り直前にプリンタトラブルで右往左往しているイメージを卒論に持っていれば、必ずそうなるのだ。ナポレンヒル曰く、思考は現実化する。訳で(ほんとか?)
また、これはゼミの前の日は徹夜しないと準備した気がしない。というようなものかもしれない。そして、徹夜してニコ動。それに、苦しんでいることを友達同士で共有して悦に浸っている傾向がある。これは無駄なのでやめたい。でも出来ないもの同士で傷をなめ合うのは快感なのでなかなかやめられないのも真実。最悪教員が悪者になったりする(w)。

結局のところ卒論指導の愚痴になりつつあるわけですが(w)それではナニでアレなので、卒論を書くために必要なポイントを強いて上げるとすると、以下のような点が上げられるでしょうか。
1)自分が本当に興味を持つテーマを決める。そのことなら、少しぐらい自腹を切っても、時間をかけても、調べられることを探す。卒論という面倒な課題が存在しなくても自発的に取り組めるとよいのだが。(←ただし、これは難しい。)
2)私の見る範囲では、卒論が書けない最大の原因は材料不足である。最もこれには調査系、データ分析ものや実験ものかどうか。という側面が強く影響するので一般化が難しいが。余談だが、ジャンル別で一番悶々とするのは、作業レベルの手順に落とし込みにくい、文献リーディングが中心の社会学系じゃなかろうかと思うが。そっちの論文の場合は特にそうだが、そのテーマについて書かれた本や文献をとにかく読む。読めない(読書が続かない)ものは、1)の条件を満たさない可能性が高い。で、具体的には本を乱読するしかないわけだが、どのぐらい読むかというと、少なくとも20冊ぐらいは何かしら読む。そうすると、指導教員とも共有できる、(つまり社会一般がテーマになりうると認める)論文にすべきテーマというものがそれなりに浮かび上がってくるはず。(と思いたい。)
3)あとは、誤解を恐れず、一言で言えば物語を構成する能力が求められると思う。単純に調べてこのあたりは、一般に言われる起承転結とか、その他諸々、そんな構成はあまりアテにならない(←ただし、これは学際系の特徴的論文(つまりフォーマットが多様)に多い傾向かもしれぬ)。ただ、物語を作る能力。。というものがどういうものか、案外難しい。物語といっても、読み手の裏をかくような大胆な展開が求められているわけではない。もっと単純なことだが、物語に出てくる要素は、必ず物語を構成する一本のストーリーに関係する。ストーリーに関係ない要素は話を混乱させるだけなので無用である。そういう意味では、論文の筋の中で、ある地点の以前に述べたことは何らかの形でその地点の後に響いてこなければならない。そんな全体的な構成能力が必要だ。

ただし、そのようなやり方をどうやって伝達できるのかは、すでに述べたようによくわからない。というか、私には一般的な形式で言語化できない。ただ、わかっていることは、まとまった長さを持つ論文をいきなり本番で書くのは少しというかかなり無理があるという単純なことだ。出来ることなら、いきなりフルマラソンに出るのではなく、5km,10kmといった距離で何度か試しにレースに出てみれば、その感覚というのは次第に得られるのではないかと考える。
そういう点では、一度まねごとでかまわないから、卒論にしようとしているテーマとは別のテーマを、試しに書いてみるというアプローチがよいのではないかと思う。比較的簡単で問題設定の容易な(最終形がイメージできる様な)テーマで、2週間といった現実的な締め切りを与えて、複数試しに書いてみる方が、結局遠回りのようでも近道になる様な気がしてならない。これは練習だから、かけなくても気に病むことはない。テーマを変えて何度か挑戦してみることが大事なのではないか。そのくりかえしを経ることによって、本当の卒論テーマの最終形が無理なくイメージできるようになれば、終わったようなものなのかも。

ま、ナニがともあれ早く書いて下さいw