おっさんの話のぎこちなさ

おっさんは大変だとおもう。
本人の適性はともかく、ある程度人の上に立たないといけない。
結果として、そういうことが必ずしも得意でない人も、部下を持ったりする。
そうすると、年代を超えて、いろいろ話をしないといけない。
自分より若い人とうまく話ができる人ならまだいいが、そういうことが得意でないひとは、ぎこちない感じになるのも無理はない。

若い人は、今しか知らない。それは強みでもあるし弱みでもある。
おっさんは、昔も知ってるし、今もある程度知ってる。実は、それが、話をするときの迷いの一つになる。世代ギャップがあると年長者は若年者に対してある程度は円滑に話ができるように、気を使う必要がある(と考えられている)。だから、話をするときに、相手や話の内容によって、どのあたりの時代の常識に基づいていけばよいか、そこが難しい。かつての同級生、同年代と話すときは、その苦労がないから楽である。
話しているのは今だから、今の常識や考え方、話し方で話せば良いと思うかもしれない。しかし、それほどかんたんではない。自分の意識というものは、生まれた時からの積み重ねで構成されている。「今思った」としても、その思ったメカニズムは少し古い情報の蓄積に基づいている。だから、厳密にいえば、おっさんは常に時代遅れになるのは必然である。だが、ある程度の努力で、時代遅れはカバーできる。特に、社会観察の経験が増えてくると、一を聞いて十を知るようなことができるようになる確率が高い。すると、意識(というか、脳のメカニズム)は少し時代遅れでも、「今の観察」は、案外できている、というか、断片的な情報から全体を推測して補うようなことも多い。(もっとも、その補いが間違っているケースも多々有り、それが扱いにくさの原因かも知れない。)
その上で、相手が若年者の場合、相手は自分が「今に疎い」という先入観をもっているケースがままある。しかし、それは大概の場合間違いだ。ただし、厳密には、「今を知っている」というよりは、「今を高い精度で想像している」こともあるところが難しい。いずれにせよ、案外おっさんというのは若者が感じている以上に「今」に詳しい。
にも関わらず、相手が「今に疎い」と思っていたら、ある程度はそれに合わせたほうが話が早い場合もある。いちいち相手の先入観を修正していることが面倒な場合も多い。すると、おっさんの自分の意識をどのぐらい時代遅れにしておくべきか?という自分の意識、認識のチューニングが大事になることもある。そのあたりを合わせるために、ぎこちない会話になるのかもしれない。
実際、自分が年長者に話しかけるときは、(こちらが勝手に想像している)年長者のこれまでの経験を踏まえ、相手の知っているだろう知識やもっている考え方に応じて話そうとすることからしても、上記の推論は案外間違ってない気がする。

若年者と話をするときに、常にそのようなチューニングを心がけて話をするのがおっさんだとすると大変だ。
ましてや、話をすること事態が得意ではなく、結果的に人の上に立つことが苦手な人であれば、ぎこちない感じになるのも無理は無い。