夢見るために必要なこと

ゼミで話をした内容をブログにあげろと言う学生がいるので、要点をまとめてみる。
ちなみに私は団塊ジュニアの72年生まれ。

若者が老人に搾取されているという話は、生活実感としては頷ける主張だ。特に、引退前の老人の安定した雇用を守るために犠牲になっている若年雇用や職業選択機会は少なくない気がする。でも、世代間の単純な比較をすることには余り意味がないと思う。安定した正規雇用につくチャンスが少なくなったとしても、そのための教育を受ける機会は上の年代よりも遙かに広がっているのだから。あえてまとめると、雇用制度の多様化によって、能力に応じた適切な処遇が行われるようになったということなのじゃないだろうか。犯人捜しは精神的につらくなるとついやってしまうが、たいがい犯人は自分だ。なので、別の視点から考えたい。
 個人的には、若者世代の閉塞感を助長する要因の一つに、もっと大きな時代の転換にあると考えている。その一つは技術革新による明るい未来が描きにくいことだ。私の子供の頃、あるいはそれ以前の技術を少し勉強すると、ホンダのバイクやソニートランジスタラジオなど、小型化、量産化された機械加工技術による富の蓄積が積極的に行われた時代であることがわかる。そして鉄腕アトムドラえもんのような漫画のように、科学技術が発達すればもっと人類は豊かに、幸福になれると素直に信じられてきた時代。その大量生産・大量廃棄技術が21世紀の大きな負の遺産となるにもかかわらず。登山で言えば、大量の廃棄物をアタックキャンプに残しても、登頂すれば褒められた時代で、とにかくフロンティアが広がっていると信じられた。そういう点では、その時代を生きてきた我々の父親世代が少しうらやましいと思うこともある。なにしろ、最近の技術開発といえば環境技術だ。人類の生存そのものが負担になっているこの後ろ暗さ。それに工業化社会そのものが根本的な原因で、すでに空気中に放出されたフロンにより確実にオゾンホールは広がるという。語弊があるかもしれないが、環境対策というものは、はっきり言ってせせこましい。「できるところからはじめよう」というが、私には「政治的に困難なことを放置する」と聞こえてしまう。本当に環境技術が我々の未来を存続させるのに必要不可欠な開発なら、若者が胸躍らせると言うことも考えられるが、ライフサイクル全体では環境保護技術の方が負荷が大きそうな技術開発などいくらでもある。何のために開発しているのか少し微妙な。仮に技術開発にオフェンスとディフェンスがあるとすれば、環境技術は圧倒的にディフェンダーだ。点を取られないのが当たり前だが、そのための努力は地味でつらい。省燃費競争もストイックで興味深いレースだが、商業的に成功するのはF1だ。
 結局、工業化社会のもっとも楽しい時期を過ごせたのが老人世代の幸運だったのではないかと思う。その象徴すべき現象というか番組はプロジェクトXで、引退したかつてのエース技術者の回春剤だった。個人的にはあの番組のほとんどがわかりやすい「ものづくり」という点で、日本社会が典型的な成功の罠に嵌っていることを示していたと思っていたのだが。終わってよかった。
 もっとも、若い世代のアドバンテージとしては、情報ネットワーク技術、インターネット社会という夢がある。でも、それって単純に労働効率を上げて仕事がつらくなるだけでしょ。という批判もないわけではない。そのあたりを含めて、情報化社会と若者に与える影響については、別のエントリに改めて。

参考
http://bewaad.com/20061008.html
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50650697.html