ディープインパクトが引退した件については、いろいろと観点があろう。
もっとも最初に考えつくのは、余力を残して引退することに対する美学だ。
しかし、競馬ファン小幡さんによると、50億といわれるシンジケートを組んだ種牡馬ビジネスの行方からして当然なのだそうだ。
馬として走る能力を期待されながら、たぐいまれなる能力を持っていれば、走ることよりも子孫を作ることに集中させられる。

これまで競馬というのは単純な競争だとと考えていた私にとって、種付け料が高いから、自ら走ることをやめ、そちらに専念するというメタレベルの競争に基づく選択はある意味新鮮だ。もちろん、経済学的には理解できる。一般の競馬ファンは走る馬に投票することで楽しむのかもしれないが、馬主になれる人は、馬の血統に金をかけるのだ。

ただ、素人の私にはわからないが、競馬で勝つということは、それほど血統が重要な競争なのだろうか。ただ、血統による説明力が強すぎれば、あまりギャンブルとしておもしろくなさそうだから、それ以外の要因も当然あるのだろう。それでも、種付け料の合計が優秀な馬であるディープインパクトが今後稼ぐ賞金よりも高いというのは、どうなんだろう。それだけ種付けをするのかもしれないが、子供の数の総賞金額の期待値が種付け料より高いということはあるのだろうか?それほど血統の説明力が強いのか。

ざっくりいってしまえば、目の前の生命とその能力よりも、生命の持つ遺伝子に価値を求める行為。セックスするためだけに生まれてきたような、利己的な遺伝子もびっくりなまさにvehicle。そんな運命の競馬馬が何となくかわいそうな気がするのは私だけだろうか。競馬というスポーツが嫌いになってしまった。生命の尊厳ってなんなんだ。いったい。