志望動機に「ヤリタイコト」はなぜ必要か

つながル!のとある学生の日記を読んで感じたことを適当に書く。

個人的には梅田望夫の「好きを仕事にする」シリーズのような合理的なアプローチが好きだし、推奨したい。面倒なので、方法Aと呼ぶ
一方で、天の邪鬼なdankogaiが「仕事を好きになる」というエントリを最近あげた。この方法論も現実的には存在する。以下Bと略す。ある意味で、これは仕事を生活の手段としてとらえる方法でもある。

ちなみにAとBは排反ではない。最初はAだったけど、いろいろな現実の事情でBを余儀なくされることはよくある話で。一方で、完全にBのアプローチというのも存在しないだろう。適当な会社に行って「なんでもしますから」というようなもので、あまり相手にされない。
だから、現実的には個人の仕事に対する態度は、その二つが配合して存在しているのだろう。

今日的な日本の環境の中で、(世間の大半を占めると思われる)バランス感覚が優れた人であれば、一般的にBの配合を多くして進路を決定するのだろう。自分のやりたいことはさほど無関係に仕事が決められ、運が良ければ、勤め人として一定の給料をもらい、家族や勤務先での人間関係に小市民的な悦びをみつけて、生涯を終えていくのだろうと夢想する。

一方で、Aにこだわりすぎるというのは、どこか片手落ちなんだろうなと思う。個体のとるべき戦略を採用する上で、環境が要請する均衡解と個体の理想解にギャップがある時、個体の理想を優先するような不器用な状態である。好きを仕事にするというとかっこいいが、ある意味でBの戦略をとれない人たちともいえる。まあ、全員がそうではないが、私の知るAの人たちはみなある意味で不器用だ。

理想解を追求するというのは、積極的に環境に対して働きかけ、環境の要請する均衡解を理想解に転化させる努力を意味するわけだから、一般的にAのアプローチがアツい(エネルギーが必要な)ことはある意味あたりまえである。
そういうアツい人は、どこかでバランスがこわれてんだよな。と個人的には思う。
(もっとも、Bを追求していくにも、仕事を手段として割り切った上で、自分の求めるワークスタイルを実現するのは並大抵のことではないのだけれど。)

そういう、AとBの一般的な見方が最近の私の中であるのだが、それでも進路を考える上では「あなたは何がやりたいのか」ということを問わねばならない。

まあ、簡単な方から理由をまとめると。就職活動って言うのはある種の(自分自身の)営業なんだから、商品(あなた)の特徴を要点を整理して説明して、顧客(就職先)のメリットにどのぐらい寄与するのか説明しなきゃ行けない。という現実的な理由がまずある。民間企業であれば、その説明ができない人間はまず不要だといわれるので。その低次元のレイヤーで考えれば、このやりたいことはある種の詭弁でかまわないし、単なる論理構築力が問われているにすぎない。
まあ、このレベルで志望を語るレベルでは人気のある会社に就職するのは難しいと思うけど。その延長線上に、普通の就活の水準としては、普通学生時代の勉強や活動の実績が求められる。

もう少し高級な理由としては、情報系に限定した話で、情報産業における生産スタイルに関係する可能性がある。特にプログラミングでは、多少の素質や環境の違いがあろうがなかろうが、自分の好きなことを仕事にした方が、際だって生産性が高いというワークスタイルがありそうなことだ。
シンボル操作を機械的に設計できるプログラミングの使い方次第では、すごい人は凡庸な人の桁外れな(dankogaiのエントリなどにも1M倍のこともあるようだ)能力を発揮するらしい。個人的にもそう思う。

先ほど、「今日的な日本の環境の中で」という注釈をつけたのはそれが理由である。日本のフツーの会社では、まだ高度なソフトウェア生産に必要なワークスタイルと言うよりは、メーカ型(工業生産型)の組織やワークスタイルが幅をきかせているきらいがある。ホワイトカラーエグゼンプションの反応なんかもそれを感じた。
(先日の小野さんのブログの大企業の実話エントリとか、少し違う観点から参考になる)
しかし、そんな非効率な状態がいつまで続くのか個人的に疑問である。そうすると、Bの方法論が得意で、あまり好きでもない仕事で、好きを仕事にした人と同水準のパフォーマンスがでる人を除けば、情報系の学生は、よりAの方法論をより強く意識する必要があるのではないかと思う。

私の中で、その二つを超越した、最後に残る決定的な理由としては、「世の中はAを求めている」。ということになるのだが、そのことはまあ、個人的な信念にすぎないし、また次回に。