リア充とは何か

一部で話題になっている「リア充」。
私も個人的に関心があり、「どういう学生がリア充か?」ということをまわりの学生にしつこく聞いているのだが、今ひとつ感覚的によくわからない。

ここで、リア充という言葉は、私の関心の一側面にしか過ぎないので、誤解して欲しくないところでもある。
大事なことは、ネットワークに耽溺している若者、あるいはオタク志向のある若者が、自分たちと反対の極ににある若者を指して「リア充」と言っていることだ。リア充っぽい人は自分ではリア中とは言わない。
ちなみに、私は最初「リア充」呼ばわりすることに対して多少の侮蔑的な意味を含めているのかと思ったが、必ずしもそうでないようだ。

簡単に言えば、若者層の分断基準が又一つ増えた。ということなのかもしれない。

私が関心を持ったのは、リア充と非リア充での分断基準は、ネットワーク利用に順応できる(してしまう)かどうかだという仮説があったから。
前述したように私も理解出来ている訳ではないが、一つの解釈として、リア充はなんだか「まぶしい」「体育会」な感じ?という印象がある。それは、いささか若者像としてはノスタルジーを感じさせる古い若者像なのではないか。という感覚。

そんな問題意識を元に、下記の記事を見ると、ふんふん、そういうことなのかなと頷きながら読めないでもない。

学校は、オンラインの世界から切り離されてしまっている子どもたちへの対処を密に行わなくてはなりませんし、

記事では、環境による違い(24時間ブロードバンド環境と10分間の公共アクセス)を問題視しているものの、全員パソコンを持たされている情報系の学生に関しては、それはない。むしろ、個人的な興味の持ち方、持つ対象に依存しているといってよい。ただし、日本の環境全般に関して言えば、携帯アクセスのみ層(非PC利用)(とその子供層)がどのような属性を示すのか考えなければならないだろう。

それにしても、ネット利用の進んだ子供をかなり持ち上げている。少し極端かなと言う気もするが、記事の通り、おおむねネットに順応できる学生というのは、いろいろな面で有利に働くだろう。
それがリア充という言葉を生み出した若者の一つのグループだ。と断言は出来ないが近い何かがあることは感じる。

リア充という言葉を認知した上で、自分はあてはまらないと認識している人は、新しいタイプのネットワーク順応型学生、というのは、大学生世代の一つの重要なカテゴリーになりうるのか。