にっぽん・くらしの記憶

録画してあったNHKアーカイブスを見る。
「にっぽん・くらしの記憶」というタイトルで今後シリーズ化するらしい

今回は昭和30年代の小学生の夏休みの映像。
まだ経済的に貧しかったころの日本がかいま見える。
みると少し感傷的になれる。

登場する子供が仮に昭和25年生まれだとすると、今は57歳になっている年代である。ケータイもパソコンはもちろん、あまり満足なおもちゃも画面には出てこない。危険な淀川で川遊びをする子供。そのおおらかさがうらやましいような。今の自分の子供が同じ事をしたら少し肝を冷やすような場面だ。我慢できずにやめさせてしまうだろう。

体の弱い両親に変わって、お駄賃をもらいながら夜店で働く兄弟。立派な児童労働だが、NHKが放送するわけだから、当時そんなことは誰も気にしないのだろう。共働き家庭の子供は、けなげに弟の子守をしながら、次の母親の休日を楽しみにしている。子供とはいえ、いろいろ生活に必要な役割を果たしていて、良くも悪くも早く大人になりそうだ。

そういう一般的な感想の他に、興味深いと思ったのは、今60前後の年代の人は、自分の子供時代の風景を映像で振り返れる日本では最初の世代だろうということだ。これは、記憶によってその人らしさが構成されるという立場からすると、映像という外部記憶によって、自分らしさの獲得作業が補強されうることを意味するのかな等と考える。私の場合は72年生まれなので、石油ショックのトイレットペーパー騒動の報道写真が思い出される。だが、自分自身の映像はもちろんない。最近撮影した者を含めてもほとんどないだろう。

だが、平成生まれの子供は多くの場合自分が撮影されている映像をそれなりに持っている。さて、大人になってまだ子度持った自分の映像を見ることのできる、見せつけられる平成の子供は、どのような影響をそこから受けるのだろう。

複雑な感情を引き起こすのかもしれないが、すなおに家族の感謝を感じるようであって欲しい。さようであるとすれば、家族の絆を強化するツールとしての情報ストレージの役割も評価されるかもしれない。

そんなつまらぬことをつらつら考えた。