いきいきと働かなくても良いのではないか

http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20120426/1335404590
まず、こういう話はきらいではないので、紹介されてるようなイベントで、うまくステップアップできるチャンスを掴めるようになることは素晴らしいと思う。

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でも、実はこれを読んで少し関係ないことを考えた。

最近はもっぱら、人には天分というものがあって、それに従っていきることが大事なのではないかという、実に無難な考え方になりつつある。

すこし突っ込んで言えば、ひとそれぞれ、感じ方は様々なので、その人なりに満足していればよい気がする。

地味な人には地味な人なりの人生があって、それを派手にしようとか、前向きに生きようとか、そういうことを促すっていうのが、大変僭越なことのような気がする。

ひとにはそれぞれ持って生まれた「器」があって、その器を超えるようなことをするべきではないし、その器が大きいほうが、幸せになれるとも限らない気がする。

むしろ、世の中で才能を認められる人というのは、どこかアンバランスな執着を持っていると言い換えても良いようなもので、万人に勧められるものではない。

というより、器の大きさというのは、他人から教えてもらわなくても、自分で気づくものだということに最近思いが至る。己がなすことは己のみぞ知る。のである。器の大きいひとは、自ずと大事をなす運命にある。器の大きい人が不遇をかこつ場合は、自ずと環境を変えるだろう。

だから、あんまり過度に他人を方向づけることをしてしまうと、結局はよろしくない結果を導く気がする。冒頭の話で言えば、やる気が無いという状態にたいして、どのようなアクションを取るか?ということが問われていると思う。やる気が無いなりに、特にアクションを起こさないのであれば、そのような状態に満足しているということもいえるわけである。まわりから、とやかく言って、そこから無理させるようなことは、精神的にもろくなことはない。このままでは自分にとってよろしくない。と思うのであれば、自分から動いているのではないかと思う。

モチベーションを持てない大学生に対して言えば、大した目的も能力もなく、大学で暇を持て余していれば、自ずと引きこもったり、非生産的な事になってしまうのも自明ではないだろうか。それより、もっと現場で肉体を使って仕事をしたりして、半ば強制的なフィジカルな刺激とともに毎日を過ごしたほうが健康になるし、そもそも本来の天分にあっているとはいえないだろうか。

そういう点で、今日の大学というもののあり方について、考えなおさざるをえない気がする。

いくら教養と技能を身につけることが、収入を高くし、満足な生活を実現するからといって、無理やり押し付けてしまうのでは、どっかで無理がたたる。そして、そのムリのツケが、今の大学の現場で花開いているようにしか思えない。

もちろん、なぜ学ばなけれならないか?ということを教育することが大事だとも思うんだけど、本質的な意味で学びの意味を見出す行為は極めて個人的なことだと思うし、公教育あるいは組織的な教育で、たくさんの人数相手に対応できることのような気がしない。って書くとおそらく教えるプロとしては失格なんでしょうけどね。でも、ムリなものはムリである。


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とか言ってきながらあれなんだけど、私個人としては、もっとヤル気を出して、太く長い人生にするもんね。