就職を控える学生に

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 を読んだ。

バブル崩壊後の就職活動を経験したものとしては、この本に書いてあることはほぼ同意である。
そして、年功序列の人事制度を想定して設計されている勤務先の大学の就職活動支援に危惧を抱いているわたしとしても学生に読んで欲しい本である。

ただ、一つ気になるのは、あまりにも「若者が被害者だ」という被害者意識が強すぎるのではないかということ。若者が満足できる社会などないし、あればそれは想像するのも気持ち悪い話なのではないか。引き籠もりは望ましくない状態としてとして批判されやすいが、引き篭もれるというのは豊かさを象徴してはいないだろうか。文化や芸術を極めるのに、当面短期労働で食いつなげるというのは必ずしも悪いことではない。それに、日雇いのような短期労働の形態は別に新しいことではないだろう。また、当該世代に詳しく話を聞いたこともないしあまり興味もないが、かの全共闘世代の一連の騒ぎにはそれなりに理由があったはずだ。それは若者が不満足であったことの一つの帰結なのじゃないか?とおもうわけで。

もっとも、それを割り引いても読む価値がある本だ。特にうちのゼミ生には読んで欲しい。私が日頃説明していることが少し具体的にかかれていて、会社という存在はRPGのように必ずしも続けていればレベルアップする世界ではなくなっていることがわかってもらえるだろう。

その上で、今の学生は「ヤリタイコト」を見つけるという、働くことに自分なりの意義を見いださなければならないという、豊かさの副作用におそわれている。同書を読んでもらえばわかるが、かつて昭和的な会社に入るのにそんなことは必要なかったので、気の毒といえば気の毒だ。

理論的には近代的組織というものは、官僚的な手続に基づいた作業や成果や部門間の標準化を推し進めることで高い効率を達成してきたということになっている。そういう思考に基づいてしまえば、「私にしかできない仕事」が存在し得ないのは当たり前であり、ある意味コンサルティング業の陥りやすい罠だ。しかし、経済人仮説が身近な現実として考えるとあり得ないのと同じように、実際の組織は実に多様で、再現性など微塵もないアートが織りなす世界である。その組織で行われる活動は当然の事ながら創造性を発揮する余地に溢れている。一見同じ事の繰り返しにすぎないルーチンワークの中にも創造性を発揮する余地があるはずだ。というよりは、人間はそのように思考し、また繰り返しの経験によって熟練し、以前よりも少ない認知資源で同じ作業ができるようにできている。もっとも改善する意思を失ってしまえばその限りではないかもしれないが。

これから就活をする学生に読んでもらうとすればこの本はあまりに暗澹たる気持ちにさせるかもしれない。しかし、全く同じ業態・文化をもつ企業が存在しないのと同じように、就活する学生さんも一人一人その特性や生い立ちは異なるのだ。その違いをうまく説明して、何とか希望する会社のビジョンに合わせたかたちの「ヤリタイコト」をそれなりに説明できるようになって欲しい。極論すれば、多少の脚色・大げさな表現は許されると考えて良い。なにしろ、ほとんどの会社のビジョンが大げさで眉唾なものなのだから。この点は対抗して欲しい。もちろん、まだ就職活動までに時間のある学生であれば、自分の人生を見つめて、可能性に挑戦して欲しい。

戦略的に考えると、若い世代が老いた世代の若者時代より有利な点は、ライフキャリアの自由度にあるのではないかとおもう。ごく一握りのIT長者とはいえ、やる気さえあれば30代入り口で半ば引退したような経済的自由を得ることもできる(その分相当働いているけど、)一方で、フリーターと近所に説明しても多少怪訝な貌をされるだけで、何とか世間はわたっていける。この自由で多様なライフスタイルに対する寛容さを生かして勉強したいことを好きに勉強して、自分の力を試して見て欲しいと思う。幸い私の教えている社会情報学は、計算資源の低価格化や開発容易性を実現する様々なプログラミング技術やフレームワークの誕生によって、様々な若者の柔軟性と体力が老いた者を駆逐しやすい事ができる分野のようだ。

そんな私が学生に支援してやれそうな答えとして、自分の力を試す環境としての学生主体による企業の設立をやってみたと考えてほしい。アドバイスはそれを受け入れるコンテキストが存在していればよいが、なかなか伝わらないことは教員であれば誰でもわかるだろう。
若者の意識を変えるのには言葉よりも行動が効果的なのだから。